昭和50年(1975) | 関越自動車道が開通。人口が2万人を超える。 |
---|
関越自動車道の開通により、鶴ヶ島町の経済構造が変わりました。一般国道407号線との交差箇所に鶴ヶ島インターチェンジが設置されました。交通の便が良くなったことで、企業の進出も増え、農業を主体とした地域から住宅・商工業地へと移行しました。
昭和60年代 | 人口が5万人を超える。首都圏中央連絡自動車道の建設が始まる。(平成8年 圏央鶴ヶ島インターチェンジが完成) |
---|---|
平成3年(1991) | 単独で市制施行、「鶴ヶ島市」となる。 |
明治22年の鶴ヶ島村誕生から103年目、鶴ヶ島町誕生から25年目のことでした。