縄文時代の鶴ヶ島(約16,000年前~2,800年前)

  • 土器、弓矢、たて穴住居が発明された時代です。人々はムラをつくり、定住を始めました。
  • 古い時期には大谷川流域に集落(ムラ)が展開し、徐々に脚折、高倉など飯盛川流域にも集落(ムラ)が拡がっていきました。
  • ムラの跡は少なく、大規模集落も見つかっていません。
  • 貝塚はなく(川越までは海でした)、市内の至るところが森林で、狩場だったようです。
  • 平成24年度の調査で、市内初となる柄鏡式住居跡(えかがみしきじゅうきょあと)が発見されました(天神前遺跡)。

縄文~古墳時代の住居跡

縄文~古墳時代の住居跡住居内に炉を備える

縄文~古墳時代前期頃 
住居のほぼ中央

古墳時代中期頃~
住居の北側へ移動


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