戦国大名による権力争いの結果、織田信長(おだのぶなが)、豊臣秀吉(とよとみひでよし)が全国を支配しました。その後の徳川家による支配では、大きな争いがない「天下泰平(てんかたいへい)」の時代が長く続きました。
- 川越城主、松平伊豆守(まつだいらいずのかみ)により、八王子と日光を結ぶ日光街道杉並木(にっこうかいどうすぎなみき)が整備され、鶴ヶ島は日光街道の要衝として栄えます。
- 日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)を護衛するため、八王子周辺に居住する千人同心(せんにんどうしん)や旅人が、この街道を往来しました。
- 日光街道のほかにも鶴ヶ島には多くの街道が交差し、まちには旅人の指標となる道しるべが残されています。
江戸中期、農民から幕府代官になった川崎平右衛門(かわさきへいえもん)によって大規模な武蔵野の新田開発が行われ、市内に開発拠点となる陣屋(屋敷)が作られました。
- 川崎平右衛門は、新たな農作物を農民に奨励し、農業繁栄に多大な力を尽くしました。