安土桃山・江戸時代の鶴ヶ島(安土桃山時代1573年~1603年、江戸時代1603年~1863年)

  • 日光街道杉並木戦国大名による権力争いの結果、織田信長(おだのぶなが)、豊臣秀吉(とよとみひでよし)が全国を支配しました。その後の徳川家による支配では、大きな争いがない「天下泰平(てんかたいへい)」の時代が長く続きました。
  • 川越城主、松平伊豆守(まつだいらいずのかみ)により、八王子と日光を結ぶ日光街道杉並木(にっこうかいどうすぎなみき)が整備され、鶴ヶ島は日光街道の要衝として栄えます。
  • 日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)を護衛するため、八王子周辺に居住する千人同心(せんにんどうしん)や旅人が、この街道を往来しました。

 

  • 日光街道のほかにも鶴ヶ島には多くの街道が交差し、まちには旅人の指標となる道しるべが残されています。

 才道木日光街道道しるべ 写真脚折村道しるべ 写真

  • 川崎平右衛門定孝江戸中期、農民から幕府代官になった川崎平右衛門(かわさきへいえもん)によって大規模な武蔵野の新田開発が行われ、市内に開発拠点となる陣屋(屋敷)が作られました。
  • 川崎平右衛門は、新たな農作物を農民に奨励し、農業繁栄に多大な力を尽くしました。
 

 川崎平右衛門陣屋跡(高倉)

 

 雷電池で見つかった灌漑用水路の取水口


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