鎌倉・室町時代の鶴ヶ島(鎌倉時代1185年~1333年、室町時代1336~1573年)

  • 鎌倉街道跡(町屋)武士が政治を行った時代です。鎌倉時代は神奈川県に、室町時代は京都府に幕府が置かれました。争いの多い時代でした。
  • 幕府があった鎌倉に向かうための道、鎌倉街道がつくられ、市内では町屋にその跡が残っています。
  • 争いが多かったため、板石塔婆(いたいしとうば)もしくは板碑(いたび)と呼ばれる供養塔が多く作られました。
  • 脚折の白鬚神社(しらひげじんじゃ)にある天正2年(1574年)の銘札(めいさつ)に、脚折、太田ヶ谷、針売、和田、高倉、大六道、小六道の名前が記されています。
  • 鎌倉時代に、高福寺不動明王像(こうふくじふどうみょうおうぞう)が描かれました。
  • 白鬚神社に安置されている十一面観音菩薩立像(じゅういちめんかんのんぼさつりゅうぞう)は、室町時代の作とされています。

 

棟札・銘札板石塔婆(板碑)不動明王画像
 
十一面観音菩薩立像
 

中世鶴ヶ島の生活痕跡(太田ヶ谷)

お寺山遺跡の火葬墓岸田氏屋敷の堀と住居跡新田遺跡Bの掘立柱建物跡

中世鶴ヶ島の生活痕跡(上広谷ほか)

当貫遺跡の井戸跡と板碑北権現遺跡(上広谷)の遺構


旧石器時代 -フッダーメニュー-縄文時代 -フッダーメニュー-弥生時代 -フッダーメニュー-古墳時代 -フッダーメニュー-

奈良・平安時代 -フッダーメニュー-鎌倉・室町時代 -フッダーメニュー-安土桃山・江戸時代-フッダーメニュー-明治・大正・昭和 -フッダーメニュー-

鶴ヶ島村の誕生 -フッダーメニュー-鶴ヶ島町の誕生 -フッダーメニュー-鶴ヶ島市の誕生 -フッダーメニュー-鶴ヶ島市の人口推移 -フッダーメニュー-

鶴ヶ島の学校の変遷(町制施行まで)-フッダーメニュー-町制施行以後の学校の変遷 -フッダーメニュー-

アンケート

鶴ヶ島市ホームページをより良いサイトにするために、皆さまのご意見・ご感想をお聞かせください。
なお、この欄からのご意見・ご感想には返信できませんのでご了承ください。

Q.このページはお役に立ちましたか?