奈良・平安時代の鶴ヶ島(奈良時代710年~794年、平安時代794年~1185年)

  • 市内出土 奈良三彩天皇を中心とした律令国家(人と土地を王が支配する)の時代です。
  • 仏教で国の安定を図りました。
  • 武蔵国21郡のうち、入間郡に属していました。
  • 若葉台遺跡(富士見)、羽折遺跡(羽折町)、一天狗遺跡(脚折町)等、市内北部に大規模集落が展開していました。
  • 奈良三彩(ならさんさい)という唐三彩をまねて日本で焼かれた陶器が若葉台遺跡、羽折遺跡から出土。県内でも数点しか出土していない貴重なものです。
  • 平安末期になると武蔵七党と呼ばれる武士団が出現。当時の鶴ヶ島はこの七党の一つ、児玉党の勢力下にありました。

奈良時代以降の住居跡

奈良時代以降の住居跡住居の壁にカマドを備える
小さな窯のような構造
方形(四角)の住居が多い
煙は住居の外へ

奈良・平安時代の土器

土師器(はじき)

土師器(はじき)
  • ・古墳時代から平安時代に使用された素焼きで軟質の土器
  • ・壊れやすいが火に強い
    ・かまで焼かれず野焼きで作られた

 

須恵器(すえき)

須恵器(すえき)
  • ・古墳時代から平安時代に使用されたかまで焼かれた硬質の土器
  • ・壊れにくいが火に弱い

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