文化・スポーツ・市民活動

つるがしまの文化財

つるがしま文化財マップ

つるがしま文化財マップを更新しました。歴史散歩ルートがおすすめです。チャレンジしてみよう!

『つるがしま文化財マップ 表』の画像『つるがしま文化財マップ 裏』の画像

つるがしま文化財マップ 表 (PDF形式/2.7MB)
つるがしま文化財マップ 裏 (PDF形式/1.1MB)

 

脚折雨乞

「脚折雨乞」の詳細は紹介ページよりご覧下さい。

高倉獅子舞

「高倉獅子舞」の詳細は紹介ページよりご覧ください。

有形文化財

高福寺不動明王画像

『高福寺不動明王画像』の画像今は廃寺となっている高倉の高福寺跡にある不動堂から昭和59年に掛け軸が発見されました。
それには、絹地に制多迦童子、矜羯羅童子を両脇に従えた不動明王が描かれていました。
鎌倉時代後期(13世紀)の作品と推定されますが、画像の傷みがひどかったため修復がなされました。

高福寺に鎌倉期の画が伝えられてきたことについては、同寺の開基が中世にさかのぼる大智寺(坂戸市)の隠居寺だったことと関係があるかもしれません。(現在県立歴史と民俗の博物館にて保管中)

 

 

善能寺鰐口

『善能寺鰐口』の画像この鰐口は、慶安3年(1650)に作られました。
栄慶という僧が穀断(願いがかなうまで穀物を食べずにおくこと)をして薬師堂を建てた、と刻まれています。これは、寺や堂が火災にあって再建をしたことを伝えています。
鰐口は金属製の音響で、寺社の軒下につるされ、綱を振って鼓面を打ち誓願成就を祈念するものです。

 

 

脚折白鬚神社十一面観音菩薩立像

『脚折白鬚神社十一面観音菩薩立像01』の画像『脚折白鬚神社十一面観音菩薩立像02』の画像

この十一面観音菩薩立像は室町時代より白鬚神社の本持仏として祀られています。
像高は42センチメートルで寄木造りの技法で作られ、全身に金泥が塗られ、また衣には金箔が貼られています。その姿は宝冠を被り、頭上に十面の変化面を備え、左手に花瓶を執り蓮台の上に立っています。
十一面観音はすべての憂いと悩み、病苦障害、悪心を除くことを請願している菩薩として、広く人々から信仰をあつめています。この立像は文化財指定当時に修復を行っています。

 

銅製楓紋散双雀鏡(どうせいかえでもんちらしそうじゃくきょう)

『銅製楓紋散双雀鏡01』の画像『銅製楓紋散双雀鏡02』の画像

この和鏡は、白鬚神社に所蔵されており、鎌倉時代末期に製作されたと推定されており、県内に現存する数少ない中世の和鏡の一つと考えられています。鏡の背面に、楓の葉が内外区に20葉づつ40葉と下方には2羽の雀が羽根を広げ向き合う様子が描かれています。白鬚神社の創立年紀を考える上でも、貴重な資料です。

 

上新田六角塔婆

『上新田六角塔婆』の画像この六角塔婆は寛文5年(1665)に造立された塔婆で、庚申信仰が六地蔵信仰と深く結びついて造立されたと考えられています。
高さ1メートル30センチ、笠の部分が23センチメートルの六角柱の形をしています。その各面には、六種の地蔵が浮き彫りにされていて、地元では六地蔵とも呼ばれています。
人は何度も生まれ変わり、六道を輪廻するといいます。(六道=天道・人間道・阿修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)そして六道に地蔵をおくことによって、輪廻転生する衆生を救済するのです。
大正時代頃までは、地元では縁日に芝居や出店が出て、この地は大いに賑わったということです。

 

 

白鬚神社棟札・銘札

『白鬚神社棟札・銘札』の画像白鬚神社には、天正2年(1574)から亨保12年(1727)にわたる棟札2点と銘札6点が所蔵されています。これらから、十一面観音菩薩立像や社殿の補修再興が頻繁に繰り返されていることがわかります。
また、中世には現在の大字脚折・太田ヶ谷・高倉などの近隣7ヶ村の総鎮守であったことなど、神社の信仰圏の範囲が推定されます。
【棟札】・・・建築物の造立や修復などの際に、そのことを書き込んで棟木に打ちつけた板
【銘札】・・・奉納物等における由緒などを記した板

 

 

才道木日光街道道しるべ

『才道木日光街道道しるべ』の画像日光と八王子、川越と越生を結ぶ2つの街道が脚折で交わっています。
この道しるべは、高さは73センチメートルの石製標柱で文政4年(1821年)に立てられ、江戸、川越、日光、八王子、慈光といった地名が刻まれています。
日光街道は徳川 家康、家光をまつる日光東照宮と周囲の町の火番役のため八王子千人同心が往復した街道でした。街道沿いに残る数少ない道しるべとして貴重な文化財です。

 

 

脚折村道しるべ

『脚折村道しるべ』の画像この道しるべは、享保17年(1732)に当時の脚折村の人々によって造立され、市内では最も古い道しるべになります。現在の大字脚折44番地1地先付近の、日光街道と脚折から下新田を抜け、玉川村(現ときがわ町)に向かう街道が交わる場所に設置され、左に玉川、右に坂戸、東松山を指していたと推定されます。
現在は個人の方から市に譲与され、鶴ヶ島市文化財整理室にて保管されています。

 

 

史跡

地名「鶴ヶ島」発祥の地

『地名「鶴ヶ島」発祥の地』の画像地名「鶴ヶ島」発祥の地の周辺は、昔、鶴ヶ島という地名でした。
このあたりは、雷電池方面から流れ出る清水により水田や沼地が広がっており、その中の小高い島状の地にあった相生の松に鶴が巣篭もったことから地名が名付けられたと言われています。
それは太田道灌が川越城を築いた(1457年)頃と伝えられています。
この地は、明治22年の合併時に村名に使用されて以来、現在の市名の由来の地としても重要です。

 

 

川崎平右衛門陣屋跡

『川崎平右衛門陣屋跡』の画像大字高倉字三角原に所在する川崎平右衛門陣屋跡は、江戸時代中期の元文年間(1736?41年代)に武蔵野新田開発のため北と南(現・小金井市)の2か所に設けられた陣屋のうち、北の陣屋にあたり、北武蔵野の新田開発の拠点でした。その区域は市内はもとより、近隣旧82か村にまたがり新田が開発されたことが知られています。ここに世話役として赴任して来たのが、川崎平右衛門定孝でした。
陣屋跡の敷地内には、恩恵を得た農民たちにより「武蔵野御救氏神(おんすくいうじがみ)川崎大明神」などと刻まれた石祠が建立されています。
江戸時代中期の新田開発の歴史を考える上でも重要な史跡です。

 

 

天然記念物

脚折のケヤキ

『脚折のケヤキ』の画像ケヤキの樹齢は900年余りといわれ、昭和7年に県指定された当時は、樹高約36メートルで、枝も四方に生い茂っていました。昭和47年の暴雨風により枝周り3メートルの大枝が損壊し、幹の3分の1を欠落してしまいましたが、それでも樹高は約17メートル、幹周りは約7メートルの巨木です。昭和48、49年に幹の欠落した空洞部分を覆い修復し、大枝を鉄柱で支える措置を講じました。平成6、7年には樹勢回復事業として、腐朽部の除去や樹脂補填等を行い現在の樹形となりました。樹勢回復事業の実施翌年には、若葉の数が増えるなど目見えて回復しました。されに、平成19年には、樹脂補填部分の追加修復、樹幹の強剪定、周辺樹木の伐採等の環境整備も実施し、市内で唯一の県指定文化財の保存に力を入れています。

 

 

三ッ木慈眼寺黒這松

『三ッ木慈眼寺黒這松』の画像境内にあるこの黒這松は、樹齢300年以上といわれています。その樹形は、その名のとおり地を這うような独特な力強いものです。

 

 

中新田神明社大桧

『中新田神明社大桧』の画像神明社が慶安2年(1649)に造営された際に御神木として植えられたものと推定されます。大きさは、幹周り2.7メートル、高さは25メートルあります。

 

 

埋蔵文化財

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販売図書

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問い合わせ先

このページに関するお問い合わせは生涯学習スポーツ課です。

鶴ヶ島市役所5階(社会教育担当・市民スポーツ担当) 〒350-2292鶴ヶ島市大字三ツ木16番地1 電話番号:049-271-1111(代表) FAX:049-271-1190  <br>文化財整理室(文化財担当) 〒350-2213鶴ヶ島市大字脚折1562-1 電話番号:049-285-2194 FAX:049-272-3304

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